2004年04月29日

ロックの歴史

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スクール・オブ・ロック ロックの歴史

この映画のためだけに作ったとしたら、何とも勿体無い凝り様。
説明文の一つ一つがとても短いのはちょっと辛いところだけど、まあ数でカバー。
結構マニアックなところまで。

それにしても、ロックももはや昔のものとなってるなあ。
死人出すぎ。
歴史ということなのか?

Posted by arikui at 11:39
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なまず

FHR@GLITTERSの方にnamazu導入。
特に意味がないどころか、昔のblogも一緒に検索されたりしてなかなかやってらんない。

Posted by arikui at 09:49
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2004年04月28日

一昔前の2ちゃんねる

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もし一昔前に2ちゃんねるがあったら… (圏外からのひとこと)

一昔どころじゃなくなってたり。

【家康】関ケ原の戦い実況スレ part89【空気嫁】
昔も戦争は人気。

【天皇】サイパン島玉砕オフ Part191【万歳】
ちょっとは楽に玉砕できるかも。

【シノビガタキヲシノビ】終 戦 ス レ【タエガタキヲタエ】
1 :オクニノタメナナシ 45/08/15 10:15 ID:???
涙ガ止マリマセン…無念デアリマス…
2 :オクニノタメナナシ 45/08/15 10:16 ID:???
>>1
ハ非国民
3 :オクニノタメナナシ 45/08/15 10:16 ID:???
憲兵ニ 通 報 致シマシタ
4 :オクニノタメナナシ 45/08/15 10:16 ID:???
非国民ハダマレ
5 :オクニノタメナナシ 45/08/15 10:16 ID:???
情報源出セ

まず煽る。

【自分が】戦争中にやっちゃった事を謝罪するスレ【やりますた】
多分時効。

【怪物】ハイセイコー駄馬決定【ダービーで墜つ】
アンチ。


昔を思い出したり、考えるのは面白い。
数十年後には今も、こんな風に語られるのだろうな。

Posted by arikui at 20:10
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その「blog」って何?

 下で適当に書いたことを踏まえた上で、ここらへんで連日語られてるblogのことについて考えてみる。

 俺が問いたいのは、「あなたたちの言いたいblogって何なのか」ということ。まるで、blogは他の非blogサイトと違った領域で考えられてるようだから。しかし、血統の森もblogと大した違いは無い。なんせ、やってることといったら俺からしたら同じようなものだから。
 というか、書かれ方がまるでトラックバックとか重視で書かれてる気がする。別にトラックバック機能があるからblogであるとは思えない。ABC振興会はMT使ってるけどTBは受付けていない。しかし、確かにblogだと思うのだが。
 TBがメインで語られる要因となったのは競馬ブロガーさんのためのトラックバックセンターってものができたからなのだろうか。このことでPOG Blogのエントリーではタイトルから、「Blogというものは結局TrackBackということになるのだが」と書かれていて、なんだからblogerはTBしなくちゃならない気分にさせる。「Blogの価値というのは、TrackBackによるBlog間の介在が尤もであって」確かにblogってものは議論のし易さが良いわけだけれども、なにもTBしなきゃ議論できないわけじゃない。blogツールであるはてなダイアリーが外部へTB送信できるようになったのはここ最近(はてな内では出来たみたい)だけれども果たしてblogとして価値が無いものだったのだろうか。

 そして、この文章

あとは予想サイトが多いのが目に付いたかな・・・印を晒して適当にコメントをつける。
別に各々のBlogの予想なんてどうでもいいんですが(えー)

そうでなくともBlogは型にはまったスタイルなのだから、
予想の書き方までありきたりでは面白味にかけるんじゃないかと。

 これはblogに限ったことじゃない。俺も以前は仲間内で予想大会を開いてたわけだが、印だけ付けて送ってくる予想には正直困った。そんなもの、インターネットで公表する必要が無いのである。仲間内だけでやってるならいいが、インターネットという公共に放り出された場所であるわけだから他人の目を気にしなければならないわけである。ここで、「あ?何でコイツが本命なんだよ」というツッコミが入りまくるわけだが、そのツッコミは大概本人に届いてない。当然のことで、見ず知らすの相手にいちいち突っ込んでるほど暇じゃないからだ。
 それがblogであればかなりツッコミという行為が楽になる。もしツッコミが来た場合それに対応できるのだろうか。対応できない場合は自然とコメント欄が無くなるとか、TB受付けなくなるとか、サイトそのものが消えるとかなるかもしれないし、対応できる場合は、ツッコミが繰り返される中でツッコミをされないように書くようになるかもしれないし、結局は印だけ付けた予想というものは完全にとは言えないが淘汰されると思われる。(ホントは全然思わない。)どうあれ、ツッコミ(ネタではなく)がこない方が突っ込む方にも突っ込まれる方にも都合がいいので、ツッコミがこないように書くのが良いと思う。それは予想に限ったことではない。
 俺はそう思うのだが、やっぱりそんなことを意識せずに、予想したというだけでTBするというのはどうにも理解し難い。それがTBセンターのレース予想のところなわけだが、そこに大した説明も無くTB送って、果たして覚悟があるのかということである。「くだらねー予想してんじゃねーよ」と言われる可能性が大きくなるわけだが、はたしてそれを受ける覚悟はあるのだろうか。「俺の予想について何言われようが、そんなこと言われる筋合いは無い」と言うかもしれないが、「くだらねー予想」と評価されるのはやはりそう予想してしまったが為であるのだろう。俺からしたら、コメントが荒らしでない限りは何言われようが公表したほうに責任がある。

うちとMilky、POG Blogで何が違うかって言うと、Blogであるか否か(MilkyはMovable使ってるけど)
Blogっていうのは、Blogの機能を持ったもの同士じゃないとTrackbackできない。
ここに既存のサイトが越えられない壁があるんだな・・・。
だからBlogは交流が自ずと内向きになってしまう、と見るんですがね。

 MilkyHorse.comはblogじゃなかったのか。goo BLOGによるblogの説明によると、「ブログの「log」とは「時系列順の記録」を表す言葉です。ですからウェブに現れたさまざまなページを時系列順に書きためたリンク集のようなものがweblogの原型です。」さらに、「多数のページから何らかの基準で選択するのがブログの機能」とも書かれている。日記形式で書かれたものがblogだとすると、血統の森もMilkyHorseもblogなのか。そして、TBセンター(トラセン?)はblogではないのだろう。blogerも非blogerもTBという機能ばかりをblogとしている気がしてならない。歴史から言えば、blogが有名になったのは1999年の同時多発テロからであるらしい。TBは2002年にできたものだ。現在はどういうわけかTBがblogたらしめているかのようなイメージがある。
 まあ、TBとしての交流とすれば、bloger同士のものとなってしまいがちだが、実際のTBはオープンシステムだから、存在としてはblogerに限ったものではない。(現に2chで使われてる。)TBはサイト間の交流という感じのものであるから、TBを使うか使わないかはblogerの話ではなく、サイトの管理者レベルの話だと思われる。つまり、サイト間での交流をし易いよう意識するのであればTBを使ったサイト、それは主にblogになるわけだがそれを使うようになるし、別に交流は意識しないのであればTBも必要ないということであろう。

 ここでは二つのことについて書いたわけだが、一つはblogというもの、もう一つはblogerに限らないサイト管理者についてのこと。
 書いてみて思ったが、TBというものの本来の目的はみんながみんな交流しやすいものしたいという思いのはずが、どういうわけかbloger(狭い意味の)だけのものとなりつつあって、それが内向的に見えてしまうのだろう。内向的に見るのはblogerも非blogerも同じようであり、自然とblogerがblogerの集団を作り、かくして「bloger達」が出来上がるわけだが、その「bloger達」の中には交流目的で内容もあまり気にせず文章をばら撒く者がいて、彼らが余計「bloger達」を固定化してしまっている気がするのだ。やはり、blogerもサイト管理者なのだから、自分のサイトというもののこと、内容とか価値とか見る者の反応などを真っ先に気にして欲しいものだ。サイトの目的が外向けであるなら尚更だ。
 「もどき」やらトラセンやらも訪れて欲しいのはサイト管理者以前の単なる大衆、インターネット利用者にではないだろうか。blogerとかそういうことではなく、単純に人に見せたいというものであれば、bloger同士の交流なんて話も出ないはず。そして、自分の文章に自信のない者はTBなど送らず、己に閉じこもるわけだ。それが賢明である。

 それにしても、Sakura Archivesが色々敵に回してると感じてるなら、それは内容以前に態度の問題だし、milkyhorse.comが個人運営なら毒吐いてもいいような発言がちょっと痛々しいのだが、それは俺の知ったこっちゃない。なんせ俺も大して変わらないからだ。

Posted by arikui at 02:02
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2004年04月27日

今更blogのこととか書いてもなあ

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 blogとは何なのか。今更だが、まだまだ曖昧な人もいるようなので、一応俺なりの見解を示してみる。

 blogのいいところを考えてみれば分かると思うんだが、まず編集が楽。オンラインで適当に文章書いて投稿すればテンプレートの通りのいい感じに文章が出来上がってくれるんで、HTMLとかそんなに気にする必要が無い。お陰で文章が増えていく。まあ、モノを書くにはいいものってことだ。
 blogでは機能としてコメントをつけられることが多い。tDiaryのごとく、"ツッコミ"が容易というこだ。
 そして、RSSやらを排出するものも結構多い。ここで使ってるMTもそうだ。最近ではAtomの方がいいみたいな感じだが、まあ用途として同じようなものだろうから。で、RSSは記事を配信する目的で使われるもんだと思っている。その記事というのはもちろん自分で書いたものだ。
 配信するという目的で言えばトラックバックもそうだろう。トラックバックというものは自分の文章を相手に教えるものだ。RSSと比べ、より積極的なものだ。なんせ自分から相手に教えるのだから。

 まあ、大体こんな感じだと思うけれど、blogの根本にはジャーナリズムが存在する。マスコミではない個人のジャーナリズムだ。言ってみれば、<俺新聞>みたいなもの。<俺新聞>というものを作る目的であるから、やはり先に言った「編集が楽」というのは大きい。
 <俺新聞>であるblogならば当然その新聞を多くの人に読んでもらいたいわけだ。だから、それを広める目的のRSSやらトラックバックなんかに大きな価値を見出しがちだが、最重要であるのは内容である。blogなど語る以前の問題である内容、質である。俺のところにもたまにトラックバックがくるが、何が悲しくてトラックバックしてくるのか分からないときがある。トラックバック先の内容があまりに酷いのである。俺が言えることか分からないが、文章としてつまらなかったり、酷いときには内容的に大して関係ないときもあったりする。そういうものを見る度に、「ああ、これがblogの功罪か」とも思ってしまう。

 blogを考える際はblogの機能ばかりに目がいって、その内容なんかは軽視してしまいがちである。しかし、blogも手書きのHTMLで書いたHPもインターネットで公表していることには違いが無いので、その内容・質について大きく価値を見出さなければならない。そして、思うにblogというものはその内容・質を助けている単なるオーサリングツールに過ぎない。

 では、コメントが付けられたり、RSS、トラックバックについてはどうなのだろう。そう軽視していてもいいものではない。RSSなんかは使いようではとても便利である。確かに価値のあるものだ。
 blogが<俺新聞>だとして、それには様々なカテゴリーがあるわけだ。社会、経済、文化、、、。それらを総合的に管理するのが容易なのもblogのいいところだ。blogを設置すればそれなりのHPとなる。その<俺新聞>には読者の声の欄も含まれている場合もあって、もしそれが存在するとしたらそれがコメントの欄になるのだろう。存在しない新聞であればコメントの欄がないということだ。しかしコメントが付けられるからと言って、そのコメントがメインとなることは無い。(それをメインに来る人はいても、基本的にはエントリーがあってのコメントである。)
 RSSは自分の記事を配信するものだ。配信すると言ってもそれにはRSSリーダーというものが必要である。RSSリーダーが必要ではあるが、それがあればとても便利だ。他人のblogへ行かずとも記事が読めたりする。人に記事を伝えるには容易である。
 半強制的に記事を伝えるのがトラックバックだ。メールで記事を教えるようなものだ。メールよりほんのり容易で、記事を教える相手が送った先の管理者だけではないのがトラックバックだろう。半ば記事を押し付けてるようにも思えるが、やはりトラックバックを受付けてる限りは仕方ない。

 「ネットは網なんだから繋がり重視でしょ」みたいなことが考えられがちだが、インターネットの目的というものはデータのやり取りを容易にする為のものだと思う。そこまでしてやり取りをしたいデータとは何なのか、価値のあるものだろう。ではblogはどうか。blogも同じく価値のあるものでなくてはならないし、付属してのコメントやTBだろう。コミュニケーションは二の次だ。それも時とともに変わってきているのかもしれないが、少なくともblogに関してはそうだ。
 つまり、トラックバックなんぞを送るときも内容に気を遣わなければならないし、そんなこともしないで"コミュニケーション"だの言ってるのは違うし、そもそも俺の根本的な考え方として、ネットに公表されてるからには内容には気を遣うべきで、それに関してどう突っ込まれようが公表するのが悪いのである。

公表するなら内容に関して気を配らなければならないということですよ。
こんなこと言う必要ないはずなんだが、言う必要がある状況なら仕方が無い。


注:特定の人物に向けてものんじゃない。あと、ここ最近のエントリーと重複しとる。

Posted by arikui at 22:33
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それ以前のエントリー
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