2004年04月07日

「正直、ホントにもう障害なんてやめましょうよ」

正直、ホントにもう障害なんてやめましょうよ。(血統の森)

こうして競馬は狭くなり、強く固定されていく(かもしれない)。
それが良い事か悪い事かは別として。

今の競馬の中で、障害っていったい何なのか。本当に必要なものなのか。なぜ多くの騎手が障害の免許を返上するのか。
JGIを制した騎手がスターになるわけでもなく、障害を勝ちまくった馬が種牡馬になる事もない。
(中略)
イギリスのような名誉も与えられず、単に「平地で勝てなかった馬(馬主)の救済システム」でしかない日本の障害は、最終的にはやめる、が僕の持論ですが。あくまでも。
(4月4日)

 そもそも日本の競馬が英国の真似で始まったことだし、人気が無くなってしまうとレースの経営は困難であろう。昔はダービーと同じ賞金で開催されていた中山大障害(だっけ?)も本来の「障害でも平地と同じぐらいの大レースを作る」という目的が無くなっているというか、目論見が失敗したということである。
 近い将来、このように失敗してしまった障害競走は廃止されるかもしれない。

 長距離競争も実は危機である。日本の競馬ではまだ見られないが、欧州の競馬では長距離競争の人気が無くなって来ている。アイルランドのセントレジャーに至っては古馬にも開放されている。にもかかわらず、去年は6頭立てでレベルも低い寂しいレースであった。もう2000ギニー、ダービー、セントレジャーの三つを制覇することに魅力は無いのである。これはスピード重視の流れがあり、「三冠の名誉」も薄れた現在では馬に無理させて長距離を狙う必要はないということである。
 長距離なら長距離用の馬を生産すればいいのだろうが、メインで行われることは無いだろうし、実際日本の障害のように障害専用の馬を生産していないではないか。
 海外の種牡馬で生産を持たせている日本競馬では、そのうち長距離競争の人気が海外のように、むしろそれ以上に無くなっていくかもわからない。名誉も無いとして。そうなったとき、長距離競争の廃止を言う人も出てくるだろうし、今回の騎手の件のような事態が起こったとき、例えば有名な馬が出てきて、調教師が昔ながらの三冠に名誉を感じていて無理矢理菊花賞に出し、レース中故障し競争中止になってしまったりしたら、廃止論者は「馬に無理を強いる障害競走は廃止すべき」と言うかもしれない。そしてそれが確かに合理的であるということであれば、廃止も当然現実味を帯びる。

 科学が発達して、その時代のサラブレッドが競馬をするのに最適な距離が証明されたとき、合理的な道だけに進んでいけばそれ一本にならないとも限らない。例えば「全レース4歳牡馬、2000m」というように。それに賞金の面も重なればより加速する。ドバイWCに適した馬しか作らなくなるかもしれない。
 その影響を受けるのは果たして誰だろうか。それは競馬ファンだろう。競馬ファンの大勢が「これがなくなると寂しい」という意見を持っていれば廃止は無いし、「合理的ではないから必要ない」という意見を持っていれば廃止もされるだろう。
 「何が名誉であるか」と問われれば、そのような合理的でなくとも困難に挑戦することに価値を見出し、実行することかもしれない。障害だって長距離だって、勝つことはそう簡単ではないだろう。しかし、その困難に価値を見出していないのである。


 最初に言ったように、どちらが良い事かはファンに左右されるのだろうが、俺個人としては色んなものに価値を感じたいし、競馬がそういう流れになって欲しいと思う。それでも障害があってはならないものであれば、廃止されても仕方がない。

投稿者 arikui : 2004年04月07日 22:51 | トラックバック

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