2004年04月12日

イラクと事故と

 イラクへ行って人質になることと、競馬で落馬することって似ている。当然、社会に及ぼす影響は違うけれど。

 最近、競馬の障害競走の廃止論が微妙に浮上しているようだ。彼らの言い分は「障害は平地より危険なのに、平地ほど勝つ価値がない」というものもあったりして、「どうせ危険だし廃止してもいいじゃないか」ということを言ってる人もいるようだ。
 そもそも、競馬は危険と隣り合わせの競技である。障害に関わらず平地でも危険なことは岡騎手の件で広く認識されていることだ。こういう危険な競技は他にもある。格闘技は行為そのものが相手にダメージを負わせることだし、F-1みたいに派手に危険な事故に繋がる競技もある。価値のことは置いとくとして、危険だというだけではその競技を廃止するに至らないような感じがする。
 そして、競技をする彼らはその危険を知っていて敢えてやっている。彼らにとって、危険ながらも価値のある行為だということだろう。ということは、実際に危険が及んだ際は自己責任と言えるのである。

 イラクの人質のことだが、こちらも危険な地に敢えて行くわけだから、それなりに自分たちのやりたい行為に価値を感じているのだろう。そういった価値観を押し殺すことは政府としては出来ないことだし、渡航禁止もできなかったことだろう。
 そして、彼らは人質になったわけだが、外務省やらがとやかく言う前にイラクは日本よりよっぽど危険ということは何らかのメディアに触れていれば簡単に分かることだ。危険を承知で行ったということだ。ということは、その危険が及んだときは自己責任だし、その責任には日本の社会に対する影響というものもあったということだ。私は彼らがそこまでの覚悟をして行ったものと考えたい。たとえ向こう見ずな未成年であっても。

 自己責任であるにもかかわらず、自衛隊を撤退させろという市民がいることが実に嘆かわしい。しかも、人質の家族が中心であり、15万もの署名が集まったというではないか。テロリストの要求が何であれ、彼らの要求を呑むということはあるはずがない。過去のことを考えたら尚更だ。そして、人質となった3人の責任や意思もうやむやにしてしまう。3人には死ぬ覚悟があってイラクへ行ったのなら、その結果死んでしまったら(非常に残念ではあっるが)彼らにとってはやりたいことをやって死ねたのだから本望ということなのだ。

 そういえば昔、火山の写真をたくさん撮っていた有名な写真家夫婦が、たしか普賢岳だかで死んだことがあった。危険を承知で火山に行き、実際死んでしまった。噴火で死ねるのなら本望だったという。
 野口英世も黄熱病の研究のためガーナへ行き、彼自身が黄熱病で死んでしまった。

投稿者 arikui : 2004年04月12日 14:16 | トラックバック

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時刻: 2004年04月12日 19:56