System of a Dwon 参加チャリティーCD「Genocide In Sudan」
収録される曲の半分以上は未発表曲となっています。この CD の利益は全て United Nations Refuge Agency と UNICEF に寄付されます。
ダルフール問題のことでCDが出るらしい。発売は11月後半とのこと。Ono Yokoの曲は「Shiranakatta (I Didn't Know)」というもんらしい。ちょっと苦笑。ただ、多くの人もそうかもしれないと思うと笑えない。
JANJANで「ダルフール危機と米大統領選挙」という記事があった。「どこにでも首を突っ込むな、USAウゼー」とか思う人もいるかもしれないが、まだ慎重な方である。
外交問題が争点のひとつになる米国大統領選挙では、民主党ケリー陣営と共和党ブッシュ陣営が、競うようにスーダン政府への強硬な対応を訴えている。「アフリカ系米国人」の票を当て込んでいるからだ。
とあるように、米国では選挙のことが関わっている。8月の終わり頃には、「ダニー・グローバー、ダルフール問題の抗議活動で逮捕」ということもあり、むこうでは、とりわけアフリカ系の人にとっては関心のあることなのだろう。
ただ、米国としてはそれだけではないだろう。スーダン・ダルフール危機情報Wikiに、「スーダン原油について」という更新があった。
大雑把な言い方をすれば、ありがちな見解の一つは、「中国系の石油会社がスーダン政府に擦り寄って一歩進んで囲い込みの状態にあることに対して、米国などがその状況を改変しようとダルフール危機をだしに軍事介入しようとしているのだ」というものです。
もっと大雑把に言えば、「おい、中国ばっかりずるいぜ。俺だって石油欲しいっつーの。U.S.A! U.S.A!」って感じなんだろうか。(多分ズレてる) そういう風に考えれば「やっぱアメリカうざい」って感じもあるが、だからって中国ばっかりずるいよ、俺だって石油欲しいの。日本チャチャチャ!
まあ、石油のことで言えば、独占しないでね、ってことだ。市場に回してくれればそれでいいんじゃないか。
で、本当に深刻だと思うのは、CDのタイトルでもあるようにGenocideだ。「半年で5万人死亡」ということらしい。とはいえ病死も多いだろう。外務省でもポリオの発生ということで注意を呼びかけている。しかし、それを除いても数千、数万人もの虐殺が行われている可能性があるのだ。そして、これは今後も増えていくかもしれない。
今でもテレビで放映されるイラク戦争であるが、これでの死亡者数は3万人ほどであるという。(具体的なソースとかはないよ) イラク戦争が始まったのは昨年3月だ。ダルフールで今まで以上の虐殺が行われたら、イラク戦争を余裕で越える死者がでることは明確だ。
「虐殺」といって思い出すのはルワンダのことだ。ルワンダ内戦では80万人以上のツチ族が犠牲になった。これだけの被害が出ないとしても、やはり虐殺はあってほしくない。
だからといって、我々に何ができるかもわからない。俺にいたっては他人と団結することも好きではない。具体的な行動を起こすことについては非難はしないし、ダニー・グローバーのことは勇気のある行為だと思っている。だた、そこまでする気は無いし、勧めることも無い。しかし、注目ぐらいはしたい。そして、多くの人に関心を持って欲しいとも思う。だからCDくらいは買おうかと思っている。それで何が変わるとも思わないが。
だた、「Shiranakatta (I Didn't Know)」で済まそうとすることだけは出来ない。
それにしても怖すぎ。
ダルビッシュじゃないよ。
Wikipedia ダルフール紛争
フール人やマサリートは定住農民であり、アラブ系やザガウェは遊牧する牧畜民であったので、土地や水などの資源をめぐり経済的な需要からも二つのグループに分かれて紛争が生じた。
西部劇みたいだな。
それにしてもスーダンはやばいのでみんな注目しよう!
サッカーアジア杯の観戦について 外交部コメント(MELON PASTA BLOG)
日本のマスコミってのは確かにレベルが高いとは言えないでしょう。朝日なんかは定評があるぐらい。(でも最近だと山形浩生あたりに書かせてるから変わってきてはいるのか?) ニュース記事だけで言えば悪くはないと思う。でも、主張が入ると、、、。
今回のこのコメントというのが、本当のところよく分からない。生で体感したわけではないから。だた、マナーということであれば、このアジアカップでのものは最悪だと思う。決勝戦でも、改善されるどころかもっと酷くなるんじゃないかと思う。
で、問題となるのは
これと同時に、指摘する必要があるのは、一部の日本メディアが少数の人々の行為を過度に報道したり誇張したり、ひいては政治と関係付けたりしていることで、これについてわれわれは遺憾を表明する。
中日両国には悠久の友好と交流の歴史がある。われわれは、スポーツを含む幅広い交流を強化することは、両国の国民の間の理解と友情の促進に役立つと信じている。
相当昔のことに関して。今更だけど。
まあ、一番読んで欲しい人はここを読んでないだろうし、なんか根に持ってると思われそうだけど、こっちのことだから一応こっちに。ホントはあのときの自分のヘタレぶりも嫌なのだけど、未だに相手がうんこなこと言ってきたときに上手く説明できるか難しいところ。
短期間で二つの最悪な議論のパターンに出会ったのはかなり大きなことだった。相手が理解しないと思ったらやめる人と、ほとんどフレームで人の話を聞かない人。フレームの場合は相手が知り合いでも無視した方がいいんだろうなあ。インターネットの特徴としては一方が議論を止めたら強制的にこっちまで議論を止めざるを得ないってのが難しいところ。(しかも、自分が弱者と思っていれば済むと考えてるヤツもいるみたいだ。これはとんでもない電波)
ネタと全く関係ないことだからもうやめるけど、価値観の違いで一番辛いのは、「相手が理解するかどうか」について見解が違っていること。意見の食い違いを昔ネタにしようとしてたのを思い出すけど、そんなのは当然で、というか右翼も左翼も言葉としてしか知らんのだろうから仕方ないけど、もっとネタにすべきは議論をしようとする場で何故議論を否定するのかということなんだよな。未だに理解できん。単なるコミュニティとして集まったんだろうか。またーりするため? 俺、そんなこと言いましたか? そうしたければ言えよっての。
>議論には相手の心への毒は何も必要ない。必要なのはお互いの主張で生じた意見の対立を解決するための解毒剤だと思う。
毒が無ければ解毒剤は必要ないじゃん。毒を作るのは基本的に相手じゃないなら、自分ということになるな。まるでフラストレーション。だけど、その欲求とは何だろう。自分の価値を相手に押し付けることか?
>「正当性が衝突したときにおける問題解決」を書くことをアリクイさんが矛盾の中で「強制」したのか?という点
というか、俺が君に書くことを強制することは矛盾しているか、みたいなことでしょ。ちなみに今のところ矛盾はしてないだろう。君の発言に対するツッコミは矛盾かな?
実は「正当性が衝突したときにおける問題解決」を書くことは強制ではなくて、しかし何らかのことを書くのは強制になるだろうな。つまり、君の言う強制は存在しなくて、しかし他の強制は存在するわけだけど、その強制ってのは「言い訳」とかね。とにかく何か書いて伝えること。
>むしろこれは義務・当たり前のマナーです。
「俺が」言うことは当たり前だけど義務でもマナーでもない。「それにチョコさん♪が答えることは」であれば義務やマナーがあるかもしれないけど。
>ここでアリクイさんがコメントに対する返信をせかすのはそのような当たり前の事も後回しにし、相手の期待を裏切るくせに矛盾の「強制」と正当な「強制」について書いている矛盾した俺への正当な強制と言える。(でも、この場合は正当な強制というよりは正しいマナーの喚起と言った方がいいかもしれない。)
そこまで深刻なことじゃないでしょ。漫画貸して自分が読みたくなったとき返すよう催促するのと一緒。
単に「意見・感想のコメントが来るのは予想できる事であるし」、普通はそれに返事ができるのは当然ということ。この当然という意識は無い?すると無視に繋がるのか?
>正当性のある意見が対立する原因は個人の持っている「自己中心的」な所にあると思う。
単に、その正当性について論理的に理解もしてない癖に主張ばかりしたがっているということも多いんじゃないの。今回の君だってしっかり理解した状態で始めてればすぐに返事は書けたということだよ。
総評からすれば、だいたいいいこと言ってるようだけど、一部矛盾のところがまだ曖昧だったり、返事することに対する考え方ってのがいまいち伝わらないね。そして何より読みづらすぎ。こういうことで相手に伝わらないのも自分の責任なんだよね。なかなか難しいんだけど。何度も読み返して今の状態が全力であればいい(というか仕方ない)。
んで、こういうことはなるべく感情的になってはならないということは嫌というほど分かってるんだけど、結構インテリぶってるやつは感情的になりやすい。自分の主張に傾向してるから。馬鹿キャラが一番だよ。