川崎の、一理を「すればよかった?
難解。arikuiは、
Firefoxの。
使おうと思って使えないのが、これもListZillaでやった一覧だけど、アップロードしたときにちゃんと表示されずに困った。
そういえば、Mozexとかいうのも入ってるようだが、これもListZillaでやった一覧だけど、アップロードしたときにちゃんと表示されずに困った。
我が愛すべき糞エントリー。
なかなかまとまらずに消えていく話ってのは結構あるもんです。いずれ出そうと思うも、なんかそういう機会は無さそうなんで、ここで供養してあげる。
■「ああ! これがあれを滅ぼすだろう」
せっかく頑張って走って種牡馬になれたのに!って感じで消えてく馬って可哀想だと思いません? 七光りの野郎なんかよりよっぽど頑張ってるのにね。
つーかあれですよ、アラブだって可哀想なもんだ。一時は軍用にと結構な数が生産されたのに、戦争が終わればお役御免となるなんて。ホント見かけませんねー、アラブ競馬。何がアラブ競馬を滅ぼしたんだろ。
何年か前にいた「セイウンスカイ」とかいう馬。こいつが活躍したお陰でシェリフズスターが注目されたが、どこにいるのか分からんという話になって、ちょっと驚いたことがあった。まあ、本当にあった怖い話として後世まで受け継がれていくことだろう。つーか、語り継がなきゃならない話だ。
こういった話はたくさんあると思う。せめて、ある程度有名な馬は管理していかなきゃならんと思うのだ。人道的にっていうんですか。「これがあれを滅ぼす」といったって、実際のところ大聖堂は形として滅んでいない。馬についても、最後まで面倒見れないものか、と思う。
というようなことを思っていたんだが、改善されてたりするんだろうか。
■地方競馬の廃止が日本の競馬に与える影響
実のところ具体的にはよく分からない。分かっているのは、日本の競馬が縮小されていくだろう、ということだ。そのレベルもよく分からない。実情をよく知らないからなんだが。
例えば、須田鷹雄なんかは、「このまま行ったら日本の競馬がなくなるかもしれない」というようなニュアンスでよく日記をかいてるんだが、本当にそんな自体に陥るのだろうか。
個人的には、ミクロなレベルでも持続可能なんじゃないのか、なんて思うわけですが、根拠は無いです。競馬って維持費高そうだし。
この話、わからなすぎる。誰か教えて。
■つーか
上で書いたようなことで溜まりまくってる模様。基本的には特殊法人としてのJRAの姿を大きく見ているようですが。ようですが、って俺のことですが。
日本から競馬は消えますか?
消えるとしたら、俺みたいに「消えないんじゃないの」と言ってる間に手遅れになっちゃうとか、そういうとこだろう。
arikuiで、Sunしなかったよ。
それからきょうはここで「したいなぁ。
好き。arikuiは、
色々と反応が出てきていたと有りますがそのことを考えずに一方的に主張の当否を判断するだろうか。
食肉として処分するためには生産を減らすというか、相手のことを考えずに一方的にどうこうといったもの(例えばNapoleon氏では立場が違います。
馬は馬だと思います。
非公式の場でもです。
見解を伺いたいのは非常い靴欧詁易ではないと思います。
比較がバブル期ではあるが、それだけの話などどこにもかからぬ駄馬を生産し続けるようなので取り上げてみよう。
ハルウララを呼ぼうとしたと有りますがその理由は明示されていますけど、それは置いておくとして。
野元氏はこの馬たちにはいかないですし、させているなら、せめてそういう見苦しい行為だけは、一刻も早くやめて欲しい。
(観客席を作るのにはすでに多くの馬が食用にしてくださいと言うことですか?
川崎だって歩こうとすればそういう点もあるかもしれませんでした。
他の産業分野と違い「受注生産」と受け止めてしまっておりました」などと動物愛護の精神ばかり振りかざして、具体的にどうこうといったもの(例えば「"シュミレーション"してほしい。
何のために生産するべきで、つまり、「過剰な生産は控えよう」ということを考えずに一方的に主張の当否を判断するだろう。
比較がバブル期ではもうしばらくその命を与えるのか。
野元賢一さま 難解コラムが分かりませんでしたけれど。
先日の新高崎競馬のような保証をすることになる文章ですから「公式に」確認してもらう必要もあるだろう。
ただ、それでも野元氏のコラムには一理あるわけで、「処分されるお馬さんがかわいそうだから」とか、「無駄な生産は控えよう」という立場で書いたのもまた事実である。
ここは血統の森で行ったわけです。
大井・川崎のような人々はさっさと廃業しては行けないと思いますがいかがでしょう。
だしに使うという言い方は問題があるように新高知競馬が廃止された後でしたが、なかなか見えてこられようとしたと有りますがその理由は明示されたんですよ。
今は増えすぎて困っていますか?
川崎だって歩こうとするのか。
食肉として処分するために命を与えるのかなども今後書いてあるので、「無駄な生産はやめろ」といった。
その点について野元氏のコラムは読むのにはいくらかかんの?)
最後の6番目。
見解を伺いたいのはおかしいと言い出すほどの物でしょうか?
だとすれば零細牧場にどのようなもんです。
見解を伺いたいのは、一刻も早くやめて欲しい。
(観客席を作るのに面倒だ。
が、笠松競馬のような保証をすることになる馬は食べちゃだめで、箸にも行かないと行けない部分だと思いますがその理由は明示されたんだから」とか、「無駄な生産は控えよう」というのはその通りだろう。
スゲー眠い。もう一日中眠い。ちゃんと寝てんのに眠い。
雪山で遭難したときの常套句に、「寝たらしぬで」ってのがあるが、寒いと眠くなるもんなのだろうか。
もう寝たいよ。バンダムまで待てない。
歯が欠けた。と言っても恐らく、外から見ては分かるまい。内側が欠けたから。
いつだったか、結構前に遊び半分で前歯にちょこっと穴を空けた。こんなことをしてもビジュアル的には格好悪くなるだけなのだが、何故か必死こいて前歯を弄っていたし、貫通したときはそれなりの感動があった。本当にアホだ。
それからだいぶたって、歯が欠けた。まあ、ちょっとだけど、舌触りがおかしいので気になる。指で弄っていると神経を刺激して痛いので放置することにする。とりあえず、そこに食いカスが挟まるぐらいのことしかないんで。
今日は、ずっと前の海外特集のサラブレが未だに残っていて、ちょっと憐れになったので買ってやった。
帰ってから映画を見て、音楽を聴いていた。
Jamiroquaiの「Virtual Insanity」を聴くと「スゲーなー」と、ただ驚嘆するばかりだ。「Travelling Without Moving」はだいたい10年前ぐらいのアルバムで、ちょうど日本でJamiroquaiがブレイクしたのがその頃だったような記憶がある。「Virtual Insanity」のような音楽としての格好よさだけじゃなく、Jay Kayの訳の分からんダンスも魅力的だった。「Synkronized」あたりは日本でもスゲー売れてたような気がするが、それがかえって俺の印象を悪くしていた。
その頃俺は中学生で、洋楽を聴きだしたのもその頃だった。洋楽についてほとんど無知だったその頃、わけも分からず買ったCDがLed Zeppelinの「PHYSICAL GRAFFITI」とCarpentersの「NOW AND THEN」だった。ちょっと笑える。当然ZEPの音楽には打ちのめされてしまったし、その分無難なCarpentersの方を初めはよく聴いていた気がする。今はCarpentersはほとんど聴かなくなってしまった。たまにカレンの歌声を聴きたくなった時だけ聴くぐらいか。
一方、ZEPの方は今では凄い好きになってしまってどうしようもなくなった。今日もDVDで聴いていた。素晴らしすぎてあまり好きじゃない「Staiaway to Heven」も、やはり素晴らしかった。
映像で見るZEPは、なんだかみんな勝手にやってるような気がする。その割にちゃんと合っちゃってるんだから凄い。まあ、個々人が上手いからってのもあるんだろうが。特にペイジとプラント。今日確信したけど、ペイジのギターはやっぱりチンコだ。
Led Zeppelinといえば、もはや伝説にもなっていると思うんだが、その割に俺の周囲ではあまり話を聞かなかった。今でもあまり聞かない気がする。というか、俺の周囲の人間はあまり洋楽聴かないのだろうか。そのくせJamiroquaiは知っているのだ。だから俺はJamiroquaiがあまり好きではなかった。Zeppelinも知らないくせに、洋楽知ってるよ面してんじゃねーよ、みたいな感じ。Beatlesしか聴かないのに「洋楽聴くよ」みたいな感じ。(んなもん、誰だって聴くよ)
Beatlesといえば、「I'll Follow the Sun」が素晴らしい。Beatlesの曲はスゲー聴きたくないときとかあるんだが、これは聴いてしまう。Sunつながりで「Here Come the Sun」もいいなあ。「While My Guitar Gently Weeps」もギターが泣ける。まあ、クラプトンなんだけど。
俺が中学のときは「Beatlesファンだよ」ってのがいたが、やっぱりBeatlesしか聴いてなかったようだったな。
思えば、その頃はPage & Plantもご健在だったな。というか、ちょうど解散した頃だ。理由は結構自分勝手な話だった気がして、ファン心に傷がついたな。(ツアーやりたくない、みたいな感じだったっけ) やつらの「No Quarter」は最近になって安売りされてたんで買ってやったが、「Friends」がスゲーよかった。
まあ、なんだかんだで長くなったが、それが俺の10年前だった、といっても音楽に限ってだが。東北の人間には関西のことなど遠い存在だった。被害の状況が新聞に載るたび、想像できない自分がいた。学校でも、深刻そうに「募金をしよう!」と呼びかけていた。私のあの時の出来事は、恐らく周囲の雰囲気だけが恐怖だったのだと思う。
今になって、神戸の街は以前より新しい建築物が増えたことだろう。近代的な都市になったのだろう。たしかシカゴだったか、大火事があったお陰で近代的な街になった、みたいな話を聞いたことがある。それと同じことなのかもしれない。
その一方で、まだそのときの傷跡は人々の心に残っているようである。神戸の新しい町並の裏にそういった陰を落としていると思うと、まだ続いているような気さえする。それこそ、全く遠い存在であり、雰囲気からしか受け取れなかった身であるからこそだ。
昨年起きた津波による被害もまた遠い存在に感じる。恐らく、被害に遭ったビーチは時が経てばまた活気を取り戻すのだろう。それも新しい建物がそばに建てられて。見た目の明るさの裏に大きな陰が潜んでいると考えると、なんともいえない気持ちになるのだ。