還暦を迎えても戦場へ赴いたジャーナリストの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが亡くなったらしい。まだ断定はできないが絶望らしい。
橋田信介さんはベトナムや湾岸戦争のときから既に戦場に行っていて、しかもその戦火の中を生き抜いてきたという。凄すぎる。これだけの修羅場を潜り抜けて来た、まさにベテランというべき人が今回このようなことになって、自分の考えの甘さを思い知らされた。拘束されたこともあるという橋田さんが甘い考えでイラクへ行ったとは考えられない。現地でも常に緊張感が溢れていただろう。それでもこのようなことになるとは、戦場とは紙一重であり地獄だ。生き残ることも確かに大事だが、戦場で取材を行っている者にとっては、それ以上に報道することの方が大切なのかもしれない。
しかも、家族の会見には驚いた。生前から死を受け入れているようである。死を異様なものと感じる平和ボケな私にとっては、その光景が逆に異様に映り、しかしそれは当然のことであるから、否応なしに引きずり込まれるのだった。戦場は地獄だぜ。
この件と前の5人の人質事件を一緒に考えた場合、「あの5人も同じだったんじゃん」とはならない。家族の対応も一つにあるが、何より臭すぎたのが大衆の反感を買ったのだ(唐沢俊一みたいだけど)。ボランティアと聞き、劣化ウラン弾の絵本と聞き尚更胡散臭さを感じる。ああ、イラクである必要はないなと。ジャーナリストとして行った3人についても、「なんだ、名を挙げたいだけじゃないか」と感じる。そうした場合、何がいいか悪いかは別として、大衆が全体的に否定の方向へ動いてしまうのは仕方が無い。橋田さんは昔からずっとやってきている人だし、小川さんはその弟子みたいなもの。そういった否定的な見方はないだろう。そこに意見の差は出てくる。
自分の信念でやったことが否定されることはある。そして、それは信じられないことだろう。そういったとき、自分の意思をしっかり語れるぐらいでなければ否定されても仕方が無いだろう。
安重根が伊藤博文を暗殺し日本で取調べを受けていたとき自分の考えを熱弁したと言う。そのとき取調べに立ち会った警官は無罪だと思ったそうだ(死刑にはなったが)。その後、それが韓国併合の引き金となったため、現在はその暗殺は否定的見方にある。ただ、それによって韓国が独立していたら正反対の見方がされていただろう。この違いは結果としてのものであり、安重根の考えというのは評価できると思う。
言ってみれば信念が伝わるかどうかの違いということだろう。信念が伝わるということは、それだけ強いものだと理解することだ。
投稿者 arikui : 2004年05月29日 17:09 | トラックバック