新潟行った。
朝の4時か5時ごろ。工場。
田んぼ。なんか青いな、空。
5時過ぎぐらい。上が明るいのは加工したから。
次の日。酔っ払ってるのでぶれてるのかな。
まだ明るい。
急に曇ってきた。田んぼ。
次の日。
やけに赤いのは加工したから。
やけに青いのは加工したから。
こんなホテルだれもとまらねーよ、と思うので、客が少なくてかえって穴場な気がする。福島。
画質悪いな。どっかミスったか。
今日が最後の出演ですかね。
各所で放送前から大きく突っ込まれたという伝説のシーンです。
画像じゃ分かりづらいけど、ヨダレ垂れてました。
あー、やっぱり画質が悪いなー。
こっちはどうにか表情が分かるな。
役名というか職業。
凄いナチュラルな演技! まるで武豊!
というか、後ろの爺さんが黒い!
早くも手玉にとってます。
勝った!
まず、この「新高崎構想」というものに対する私の関心は、「ブロガーが絡んでいる」という点があった。いや、初めは笠松の件と同じレベルで考えていた。つまり、地方競馬の行く末というものである。ただ、笠松と違っていた点は、山邉浩氏がブログによって、ブログ的速度で情報を発信していたというところである。それによって関心を持ったブロガーたちがブログ的速度でそれに応えていた。そこから有識者会議によりブロガーたちが集められ、ブログ的速度による情報発信が広まっていった。今思えば、ウェブ上での関心の高さは、その時点が最大だったのではないだろうか。そこでの失敗といえば momdo 氏も書いているが、「”祭り”にできなかったこと」が挙げられるだろう。実に惜しい。
さて、該当エントリーの内容に移る。
実は新高崎ブログと、その後のレーシング伊勢崎クラブのサイトを合わせ読めば、 八割方のことが包み隠さず書かれている。
これについては疑問である。八割方とはどれとどれとどれの内の八割方なのだろう。浄閑氏の「続・新高崎競馬構想」の中にある質問のうちの八割に答えられているというのだろうか。そうであれば私の完全なる見落としである。が、そうでないのなら、何に対する八割方なのだろう。ここで既にすれ違いが起きている。求めている情報と与えられる情報が別なのだ。いくら新高崎競馬応援団(レーシング伊勢崎クラブ)側が情報を提供しているつもりであっても、求めている情報と違っていれば求めた側としては「情報が足りない」と思うだろう。
競馬サイト管理人による有識者会議の際は、「ネットなら間違いなく引き受けただろうが、リアルでとなると自称似非引きこもりにとっては荷が重い話」として誘いを断っている。もし、彼が模擬レースに来ていれば、 ファン説明会で配られた収支計画書も手に入れられたはずだ。この辺りがネットに掲載される情報を口を開けて待っているしかない、現状のニュースサイトの限界を感じずにはいられない。敢えて大手を理由に引き合いに出させていただいたが、ネットから一歩、外へ踏み出せば、ニュースサイト管理者はクリップマシーンから抜け出せると思う。
これは何を意味するか。 「 momdo 氏が有識者会議に出席していれば会議の内容をウェブで報告できたし、模擬レースに来ていれば収支計画書をウェブで公開できただろう」ということを述べているのだ。確かにそのとおりだろう。しかし、何故それを出席したブロガーたちができなかったのか。おかしな話だ。
私もこの有識者会議について、山邉氏にブログのコメント欄にではあるが、情報をウェブで公開できないものか、ということを述べたことがある。それについての解答はこうである。
今回の会議は、各ブログ主宰者の皆さんのご好意・ご協力により行われたものですので、議事録の公開は、ひかえさせていただきたく、よろしくお願い申し上げます。
ブロガーのご好意・ご協力により行われたもの
であり、つまりこの時点で情報の発信はブロガーたちに委ねられたとも取れるものだ。決してブロガーからの情報の公開を禁止したものではない。もちろん、情報の内容によっては伝えるべきでないものもあるだろう。しかし、このはじめての有識者会議において、全く見ず知らずの相手にそこまでの情報を山邉氏は提供するだろうか。相手が友好的とも限らないのにそこまでするとしたら間抜け以外の何者でもないが、恐らくそんなことはないだろう。つまり、会議の内容に公開してまずいようなものは含まれていなかったと容易に推測される。また、実はこのエントリーを読んで初めて知ったのだが、ファン説明会では「収支計画書」なる非常に重要そうなものが配布されたというではないか。これを公開せずしてブロガーを名乗ることができようか。
とはいうものの、私は完全にレーシング伊勢崎クラブのサイトを読んでいないし、他の"有識者"ブロガーたちのエントリーも読み込めてない可能性が大いにある。いや、恐らくそうであろう。であるから、私は「この情報はないのか」ということを常に述べてきたつもりであるし、同じような趣旨を述べているブログエントリーも数多く見てきた。それについて"情報を知っている"ブロガーたちは何をしたのだろうか。例えば、トラックバックを送り答えるようなことをしただろうか。私が見たのはこれだ。「広報じゃないので……」。だれも広報として情報を提供してもらいたいのではない。オブザーバーであるというのなら、オブザーバーとして得た情報を知りたいのだ。
果たしてこの感覚が身内的"有識者"ブロガーたちに伝わるだろうか。私だって彼らが全ての情報を知っているなどとは思っていない。しかし、知っていそうな情報も公開せず、というよりほぼ無反応に近い状態だった。いや、送ったプロトコルに対して違ったプロトコルで返された感じという方が正しいだろう。
ウェブとは一体何なのか。全く基本的なことであるが、私は本件で痛感した。ウェブとは単なる情報技術だ。情報システムだ。その点において、他のメディアとなんら変わりはない。メディアに乗せて情報を飛ばすものだ。そんな中でのブログとは、他者との関係性を孕んだ情報システムといえるだろう。つまり、情報のやり取りを勝手にマネジメントしてくれるのだ。
新高崎応援団は、そんな関係性を否定した。情報においても、ウェブというメディアを必ずしも尊重しなかったし、しかしウェブというメディアは利用し続けていた。そんな状態が続けば、応援団と単なる競馬好きなエンドユーザと、それらの関係性は破綻するのは目に見えている。気がつけば応援団と競馬好きとの間には大きな断絶が生まれていた。本来ならそこでファンブロガーが間に入るべきだった。しかしそれを見過ごしたのである。
ウェブにおいて、新高崎応援団はファンブロガーに見殺しにされた。また、そんなブロガーにしたのは新高崎応援団であり、新高崎応援団は単なる自滅である。そんな新高崎応援団がウェブの外でも死んだことをの6月12日付けで発表したそうだが、もはやウェブでは死んでいたので何の波乱もなかった。ただそれだけのことであろう。