2004年06月14日

被害者と加害者の親

加害者と被害者どっちがマシか
加害者と被害者どっちがマシか2

佐世保の事件を受けて。

 どっちも嫌です。まさに究極の選択。選択の理由は「その後」にかかってるわけで、人生を考えさせるテーマです。とか言うと、相当恥ずかしい。

 被害者か加害者かを選ぶとしたら、きっと僕は被害者を選ぶでしょう。人が死んだら後には何も残らない。残るとしたら他人の心の中にだけ。加害者は一生罪に苛まれることになるでしょう。単純な比較ですが、大体の人はこのように思っているんじゃないでしょうか。

 しかし、その親となると話は別です。僕はまだまだ親なんて年齢じゃないんですが、あの被害者のお父さんをテレビを通して見ているだけで鬱になってきます。こんな何の接点も無い僕ですら鬱になるんだから、当の本人は想像もできないぐらいじゃないでしょうか。立ち直れるのかどうか、僕には何ともいえません。
 橋田さんがイラクで亡くなったとき、その奥さんの気丈さには多くの人が驚いたと思います。きっと、その裏には「彼がイラクにいるときは、いつ死んでも分からない」という思いが常にあったんじゃないでしょうか。それが橋田さんの死を受け入れることを容易にしたんじゃないでしょうか。
 だた、佐世保の事件は全く違います。親は、子供が学校に行って死んで帰ってくるなんて思うはずもありません。その可能性はゼロではないでしょう。しかし、そんなものはとてつもなく低いし、それを考慮に入れても学校に行かせた方が絶対に得なのです。これを機に子供を学校に行かせないような親は誰もがおかしいと思うでしょう。つまり、そんなにも有得ないことが起きてしまって、まるで受け入れられないから鬱なのです。果たしてこれに耐えられるのでしょうか。
 こう考えると加害者の親も同じように思えます。加害者の親だって自分の子が殺人犯として帰ってくるとは思いもしない。実際手を下してなくとも、罪の意識に苛まれるかもしれません。周囲の人たちの目だってどうなるか分かりません。しかし、こうも思えます。環境さえ変われば、どうにか家族で暮らしていけるのではないか、と。僕は、「受け入れられるかどうか」が重要な点だと思います。「受け入れられるかどうか」であれば、加害者の家族が、その後色んな災難(例えば隣人から白い目で見られるとか)に遭っても、「娘が犯罪を犯したんだから仕方ない」とも思えるんじゃないでしょうか。自分の教育に責任を感じても、それがあるから現在の状況を「仕方ない」と受け止めることが出来るんではないかと思います。
 被害者の親はどうでしょうか。娘が死んだことを「仕方ない」と思えるでしょうか。

 松沢さんの言うとおり、このテーマは考えれば考えるほど分からない。今回は松沢さんとは逆の立場を突き詰めて考えて見ましたが、僕の中では結論はまだ出ていません。だって、加害者の方だって、現に麻原の娘のような絶対になりたくない例がすでに存在しているのだから。
 面白いけど考えたくないテーマです。

投稿者 arikui : 2004年06月14日 23:11 | トラックバック

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