2004年03月17日

ハルウララCD売れそう?

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ハルウララ、CDでは1着?=公認応援ソング発売-調教師作曲「ただひたすらに」

すでにサラブレッドの中での人気では1位だと思うよ。

なんだか巷では「ハルウララ、ムカつく」的声がとても高い。
それを言っている人間ってのは主に競馬ファンが多い。
理由としては、「競走馬ってのは勝つために走るのに、ハルウララは負けるために走ってる」というものだろう。
俺もそう思う。ハルウララは既に競走馬ではない。
ハルウララ自身はどう思ってるか知らないが、それを取り巻く環境がハルウララを競走馬としてはいない。
しかし、それだけだ。ハルウララは競走馬ではないというだけ。
じゃあ何なんだ、と言われれば、「アイドル」でもいいんじゃないだろうか。
競走馬としてハルウララは認めないが、アイドルと言われれば否定しようも無い。
何故なら、現役馬の中できっと最も多くの人に知られていて、しかも愛されてるではないか。
活動の面から見ても、映画出演やらCD出したり本出したり、既に競走馬の域ではない。

過去にもアイドル級の人気馬はいた。
ハイセイコーは有名だ。(それ以前にもいた気がするけど忘れた)
地方出身であり、無敗で皐月賞を勝ちダービーでは史上最高の単勝66.6%という支持率を得た馬だ。(しかし、3着に敗れた)
その後、宝塚記念も勝ち史上初の2億円馬になった。
当時の人気は半端じゃなく、少年マガジンの表紙を飾り、サザエさんのネタにもなった。
「ハイセイコー様」とだけ書けば手紙が届いたぐらいだったのである。
乗ってた増沢騎手の歌った「さらばハイセイコー」は大ヒットだ。歌手でもないのに。
しかし、三冠路線ではダービー、菊花賞とタケホープに破れ、有馬記念も勝てなかった。
まあ、長距離は苦手だったのだが、それでも人気ほどの活躍をしたとは言えない。普通よりちょっと抜けていただけだ。

それからテンポイント、シンボリルドルフを経て、オグリキャップという馬にまた人気が集中した。
オグリキャップは地方出身という点ではハイセイコーと同じだが、ハイセイコーは良血馬である一方、オグリキャップは血統がいいとは言えない馬だった。雑草なんてイメージである。(後に半妹が桜花賞を制するので母のホワイトナルビーは名牝といえるだろうが、それは後の話である)
芦毛という珍しさもあったかもしれない。4歳時(現3歳時)はタマモクロスとともに"芦毛対決"を繰り広げていた。
次の年もJCで2着、しかも当時の世界レコードであり、今でも日本レコードだから非常に強かったと言える。(次の有馬は惨敗したが)
そして、現役最後となる1990年である。
この年の秋は秋天で6着、JCに至っては11着であり「もうだめか」と言われた。
いや、その前の年のJC以降の過酷なローテーションのときから既に引退は囁かれていた。
そんな中で引退レースの有馬記念を制するのである。
強さとドラマを兼ね備えた真のアイドルというか、ヒーローだな。

その後はトウカイテイオーなんかが強さとドラマを兼ね備えてはいるが、人気の面ではオグリキャップに劣っているし、ナリタブライアンなんかは最強とは言われるが、高松宮記念に負けて引退とは素人には少々分かりづらいドラマだ。
とすると、やはり「多くの人の感動を誘った馬」とするとハイセイコー、オグリキャップが固い。(テイオーも入れていいか)

ここで人気の裏に隠されたものを考えてみると、そこには分かりやすいドラマがあった。
快進撃で大舞台へ登りつめ、ついには頂点に立つ。
その後、ライバルとの戦い。(ハイセイコーで言えばタケホープとか、オグリで言えばタマモ、スーパークリークとか)
一度、落っこちて最後に輝く。(ハイセイコーの最後の輝きは宝塚記念ということで)
分かりやすいストーリーがそこにある。

ここでハルウララを見てみると、全く状況は違うようだ。
はっきり言って弱すぎるのである。
雑草とかそれどころじゃない。
掲示板にも3割程度しか載れていない雑魚馬なのだ。

ハイセイコー、オグリはストーリーがスポ根であるが、ハルウララの負けても負けても諦めないという印象もスポ根である。
女の子なのに男馬に混ざって一生懸命頑張っているように思えて人々は感動するのだろう。たまに涙を流しても、女の子だもん、でカワイーなのだ。あー、これは深読みしすぎか。

思えば特に興味の無いスポーツを見たとき、負けている方を応援する傾向がある。
ハルウララ人気もこれに似ているかもしれない。
最近では競馬と言うものがハイセイコー、オグリキャップのときのような女子供にも人気のあるようなものではなく、オッサンの、男の娯楽というイメージであり、その傾向がCMにすら現れている。
そんな興味の無い人々は負け続けるハルウララを無意識のうちに応援していて、それが全国区に広がり、今のようなアイドルになってしまったのかもしれない。

いや、実際のところは「100回ぐらい負けてる馬がいるんだってよ」という珍しさが拍車をかけているのだろう。
「カワイソー、応援してやろう」というのがほとんどである気がする。

俺としてはそのような意識を逆手にとって稼ぎたいと思うし、実際スタッフの側か、もしくは馬主側もそういう意識があるのかもしれない。
メディアに取り上げられる以前からそう思っていたのかは分からない。
既に戦略としては負け組みから始まったモーニング娘。と同じである。
アイドルの正常な姿というのは作られた形から始まるのだ。

ここで重要なのは競走馬としてのハルウララは既に形式だけであり、実質ハルウララは競走馬ではない。
競走馬の目的が勝つことであるのは変えられない事実であるし、競走馬の頂点に立つには即ち勝ち続けなければならない。
ハルウララにとっては勝つことが難しい。
むしろ負けを期待されるようになってしまった。
これは競走馬失格である。

ここで矛盾が生じるのだが、競走馬ではなくアイドルであるハルウララは、競走馬である必要がある。
競馬という競走馬の世界でしかハルウララをアイドルとすることは出来ないのである。
常に競争のなかで生きなければアイドルとしても生きることが出来ない。

この矛盾はハルウララにあるのではない。
ハルウララを応援する側にある矛盾がそうさせているのだ。
ハルウララに頑張って走って欲しいと思う反面、負けを期待するというその意識こそが矛盾なのである。
勝つ気の無い競争に意味はなく、ということはハルウララのしていることも虚構に過ぎない。
その虚構に踊らされているのはファンであろう。
彼らは自分の手から金を手放している。

虚構を信じ続ければ被害も被害と思わないだろう。
ただ、虚構が暴かれたとき、彼らはその責任を押し付けないかどうか心配なのである。
全責任は彼らにあるのに。

投稿者 arikui : 2004年03月17日 09:13 | トラックバック

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