2004年02月17日

宣伝はPR

宣伝効果とソフトウェアとしての価値(カイコウ)

ビジネスとしての「売る」ってことは、情報の利用であって、少なくともそれを知らせるためには情報を流す必要がある。
どの商品も情報は流しているのだが、「売れる、売れない」で言うと情報の流し方が問題になる。

繋がりを重視したPRなんてのは最近流行りというか、昔からやられていると思うのだが、相手の目を惹きつけることを意図的に行うのだ。
有名人使ったり、いろいろ。
惹き付ければ、発信された情報も受け取らせることが出来る。
そもそも、このような情報と言うものは流れているものであって、自分が気付こうが気付きまいが関係なく流れている。
自然の中では情報を流すものは受身であるのだが、人間の中ではそれを意図的に行うことが出来る。

そういうわけで、自分の都合のいいように情報を流していくわけだが、資本主義に基づいているから、やはり情報もある一定の風潮で流れるようになってしまう。
つまり、SMAP使えばいいとか、人気のアイドル使えばいいとか。
言ってみれば、情報の独占、寡占になるわけだ。

色んな会社があっていいのと同様、色んな情報があってもいい。
でも、完全なる自由であれば、人気、不人気が出るのは当然。(というか、資本主義での勝者は人気者である)

商品とそれに伴う流される情報とを考えてみると、ビジネスでは情報の出来こそが重要であり、必ずしも商品の出来は関係しない。
むしろ、商品の出来すら情報となり、その商品の価値は情報となる。
とすれば、そのものがどんなに価値が無い(ありふれている)ものであっても、そこに情報としての付加価値をつければ、ベストセラーとなりうるのだ。

逆に、商品の出来はいいのに、それを情報として都合のいいように流さなければ売れる確証は無い。

つまり、商品を情報とし、流すことが重要なわけだが、それを流す媒体が営利目的であるため、それこそ都合のいい情報しか流さない。
TVなんてキムタクの件を見れば分かるだろう。
TVのいう流行なんてのも怪しいものだ。

今ではインターネットなんてものがいいとされるが、こんな感じでインターネットも影響力の高いところは商業目的での情報操作を行っているわけだから、googleの完全性なんてものも結局は怪しくなってくるのだ。

2chだってひろゆきの個人サイトだから、アク禁・煽りも思いのまま。

となると、完全に自分の意思でいいものを選ぼうとすることはできるのだろうか。
インターネットもまだ、完全に何らかの影響に左右されきっていないので、まだ見込みはある。
いや、インターネットも今の人間の社会も同じようなものかもしれない。
マジョリティはマジョリティでたまに炸裂する程度でいいのかもしれない。

マジョリティをカッコイイと思っているやつのことはまた別の話。

投稿者 arikui : 2004年02月17日 13:49 | トラックバック

コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?






このエントリーのトラックバックURL:
http://glitters.s55.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/3582

このリストは、次のエントリーを参照しています: '宣伝はPR' , 光ってるlog.