2006年08月31日

今日見た映画


父と暮せば

もともと戯曲として書かれたもので色んなところで上演されてるらしい、ってことでかなり舞台演劇っぽい映画。登場人物も基本的には父と娘の2人、たまにもう一人が出てくるぐらいなので、彼らの演技は自然と印象に残る。

井上ひさしなんて大嫌いだけどいい話書くなあ、という感じ。泣ける人は泣いちゃうだろうし、俺も泣こうと思えば泣けたけど、めんどくさくてやめた。

ヒロシマものながらあまり恐ろしいシーンはない。人が血流して死ぬとか。そういった、トラウマ植えつけるようなイメージが無いのは、この映画と同じ年に出たこうの史代の漫画と似ているし、主人公の持つトラウマもまた「夕凪の街」の主人公と似ている。どこか参考にしたところがあるのかな、と思って参考資料のところ見たけどそうでもないみたい。ただ、演劇をどっかで見た可能性は無くもないだろうけど。そもそも、演劇と映画と本と、全部同じなのか?

色んなところで、あの父親は幽霊だと書かれているけど、個人的な印象としては主人公の娘の幻覚みたいなもんじゃないのか、と思った。もうちょっと言えば、私の中の天使と悪魔の葛藤的なもの。父親は娘一人っきりのときにしか出てこないし、それも家にしか出てこない。しかも、娘のことはなんでも知っている。なんでその場にいないのに知ってんの? 恋の応援団と自分で言っているが、実際は私の本心じゃないのか? そんな風に感じた。何故、父親なのかというと、最後のシーンで言ってるように、置いて逃げてしまったために非常に申し訳なく思っているその相手に、一番背中を押してもらいたかったからじゃないのだろうか。

トラウマと葛藤しつつも自分の幸せを得るんだけれど、やはりその後がどうしても気になってしまう。映画でも述べているけど、その子供たちにだって影響が出るかもしれない。実際生れてきた子供たちは、それに対する答えをどう出していくんだろうか。もちろん、その答えはこの映画を見ることである程度は感じることができるかもしれない。そこに至るまでにもう一つのドラマがあるし、それを描いたこうの史代はなかなか偉かった。

この映画は、ヒロシマを客観的に描いてはいない。ここにあるのは、個人が葛藤の末に手に入れた一つの答えだ。人によっては否定もするだろう。もし、主人公が自分の幸せを選ばないくったって、それはそれでいい話ができただろう。この映画だけが生きてくことの本質じゃないよ。中沢啓治の漫画だって素晴らしいものだ。面倒だけど、そういうのを沢山読んで色んな考え方を知っとかなきゃならないんだ。

投稿者 arikui : 2006年08月31日 17:48 | トラックバック

コメント

広い戯曲とか暮せば
戯曲などを上演するの?

Posted by: BlogPetのしげる : 2006年09月01日 11:27

大きい戯曲とかを上演した。

Posted by: BlogPetのしげる : 2006年09月08日 13:26

arikuiたちが、ネットで戯曲や、大きい戯曲など書かれたもので
arikuiたちが、大きい戯曲など書かれたもので
ネットで戯曲と、広い戯曲を上演したよ♪

Posted by: BlogPetのしげる : 2006年09月15日 15:28

きょうarikuiで、上演するはずだったみたい。

Posted by: BlogPetのしげる : 2006年09月22日 15:29

きょうarikuiの、父を上演するつもりだった。
ここへ上演された。

Posted by: BlogPetのしげる : 2006年09月29日 11:32
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?






このエントリーのトラックバックURL:
http://glitters.s55.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/4442

このリストは、次のエントリーを参照しています: '今日見た映画' , 光ってるlog.