2004年05月01日

人質記者会見

 やってました。なんだか思っていた通り、なかなか甘いことを言っていた気がします。彼らの「捕まった」ことは良いことなのでしょうか。

 極端に言えば、人質になった3名は馬鹿。馬鹿か馬鹿じゃないかで言えば馬鹿。やっぱり、そこで捕まらずにいるジャーナリストなんかと比べると馬鹿と言うしかないと思います。捕まらないように必死に活動している人のことを考えると、3名の捕まってしまったということについては否定せざるを得ないです。それが自己責任論の主なことかと思っています。つまり、捕まってしまったら己が馬鹿ということを自覚しての行為だということです。
 ここでいうことには、ジャーナリズムやらボランティアなどの話を抜きにして、そこで捕まるか捕まらないか、捕まらないようにするということも評価の対象であるということです。危機管理が甘かったということは彼らも認めているようです。それは捕まってしまったことは自分たちに責任があったということです。

 自己責任論があまりに大きくなってしまったため、今度は正当に彼らのしていること、しようとしたことを評価する動きもあるようです。それも自己責任論が政治的に利用されたことに対する反発であるとも取れますが、やはり彼らの捕まってしまったという事実に変わりは無く、それは彼らの全責任であることには変わりはないと思います。自衛隊のことなどは別の話です。もともと日本もテロリストの標的であることに変わりは無いのだから。確かに彼らの根本的思想、ジャーナリズムやボランティアに対しては非常に評価すべきことなのですが、だからといって、そこで捕まったことを彼ら以外に責任を求めたりするのは違うのです。そういうことでの自己責任です。

 しかし、現実はそう甘くはなく、確かに彼らは自分たちの責任でこのような被害に遭ったと思っているのでしょうが、国際的には確実に日本という名前が出てくることは確かです。日本が彼らのことを無視することはできません。それどころか、彼らの地盤も日本であるということが事実であり、決して地球人やら一個人なんてものではなかったのです。捕まった日本人は何故捕まったのでしょう。きっと、"日本"人だからではないでようか。それがまた話をややこしくしてしまったように思います。

 ここで一度、思想を全て排斥してみて、危ないところに行って捕まったのは誰のせいか、と考えてみる必要が彼らにはあると思っています。「危ないから捕まった」わけですが、本当にそういう認識が彼らにあるのでしょうか。それを、自分たちの思想によって肯定しようとしているようですが、信念に基づいていての結果だからといって、捕まってしまったという結果は褒められるものではないはずです。

 彼らは今、自分たちの思想から自分たちの行為を肯定しようとしています。となると、確実に彼らの思想の面から突き崩そうとする人が出てくるでしょう。何故、高遠さんはイラクを選んだのか。ジャワ島でもなく、カシミールでもなく、エルサレムでもなく、そして日本でもなく、何故イラクなのか。今井クンの言う劣化ウラン弾の被害とは一体何なのか。単なるミサイルとしてなのか、それとも放射能のことで言っているのか、重金属としての問題なのか、そもそも劣化ウラン弾でなければならないのか。郡山さんは危機管理が甘いのなら何故戦地へ赴いたのか、そしてまた赴こうとするのか、国内では活動できないのか。

 なんだか、彼らが危ない目に遭ったから偉いように言われているのですが、危ない目に遭うことは偉いのでしょうか。まるで、彼らの評価が危ないことをやったから偉いかのように言われることが多いのです。彼らの仕事というのはまだまだこれからでしょう。郡山さんなんかはまだ良い報道をしてないと思うのですが、果たしてそれ以前に彼らを評価していいのでしょうか。他のイラクのジャーナリストやボランティアより持てはやされていいのでしょうか。少なくとも、彼らを評価する人は他の人についても大いに評価すべきで、その評価というものも具体的な対象でなければならないし、それが出来なければ他の人たちと同等に曖昧な思想のみを評価するしかないのです。「ジャーナリズム、ボランティア、偉いじゃない」それは決して人質の三人ばかりが偉いわけではないのに、彼らばかりが目立っている現状においては危機管理も曖昧な人々がイラクへ行くことを助長してしまうばかりです。

 今の彼らが有名になったのは捕まったから。それは重要なことではないでしょうか。行動ばかりを認めておいて結果を見ない彼らも、そしてそれを一方的に評価する人々も、結局何が批判されているのか分かっているのでしょうか。自分の価値観ばかりを主張しているようにしか見えないのです。

 行動ばかりがいい結果を生むと考えられがちですが、行動しないということは悪い結果を生まないということであり、それがリスクというものです。言わずと知れたことです。そういうリスクを深刻に考える必要が彼らにはあったはずです。今井くんは若いからということで他の二人よりは若干寛容になれるのですが、にもかかわらずあの大人びた態度であればなかなかそうともいきません。まあとにかく、その悪い結果というものを自分たちの体験のみに留まらず、それが世間に与えた影響というものもあわせて考えなければなりません。それが"甘い"ということです。


 ところで、3人が解放されたのは高遠さんのボランティアのお陰なんでしょうか。日本人の外交官やら地元の聖職者の働きかけなんかはどうなんでしょうか。

投稿者 arikui : 2004年05月01日 00:54 | トラックバック

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時刻: 2004年05月01日 12:08