2004年03月26日

ハルウララと村上隆

ハルウララをウザがる競馬ファンと、村上隆をウザがる日本のオタクってのは似てません?
「村上隆なんかオタクん中じゃ糞だ」っていう人と、「ハルウララなんか競馬じゃねぇ」っていう人は似てると思う。
しかも、どちらもそれについて語ることすら嫌になってる状況。
まあ、違うところといえば、オタクは村上隆を利用して日本のオタク文化を売ろうとはしてないが、競馬ファンはハルウララを利用して競馬ファンを増やそうと考えていることか。
まあ、俺にとってはどっちでもいいこと。
でもね、「語ることすら嫌になってるから語らない」ってのはどうかと思うな。まあ、語りつくした人ならいいかもしれないが。

最近村上隆のことで語って、「掘り返さないでくれ」と微妙に非難喰らった人がいる。
その「掘り返すな」に対する反論とそれに付いたコメントを「村上」→「ウララ」にして読んでみるとなかなか面白い。
(やっぱりこれは、あらゆるパターンで繰り返す問題だ)

何度も言うが、ハルウララは日本の競馬の歴史を見てもいなかったんじゃないかと思う。(俺の少ない知識の中では無かった)
負けの美学が認められたようなナイスネイチャやステイゴールドなんかは「その馬じゃないとダメ」ってものがあった。
けどハルウララの場合は、別に他の馬でも100回以上負けられる。

ハルウララが人気になったのは社会の状況とか、裏方の努力とか、そういうののお陰でしょう。
村上が世界的に有名になったのだって、最初に売り込んだ人がいるからでしょう。
だからといって、そこから「オタク」や「競馬」のファンを増やそうというのはあまり健全には思えないんですけど。
そこから新しくファンができたところで、オタクを知れば知るほど踏み台となった村上を嫌うだろうし、競馬を知れば知るほど「ハルウララが利用されたこと」を嫌うんじゃないんですか?

まあ、そんな後のことは関係ないか。
人が増えて日本の競馬界が儲かれば、種馬の質も上がるし世界の頂点に立つ馬が出るかもしれない。
そう考えれば一時的なリスクは将来のためになっているかもしれない。
ここまできたらバブルと一緒だな。根拠も何も無いわ。
別にハルウララブームに乗らなくたって競馬は楽しい。
ま、その競馬もバブルの影響で今があると言えないわけじゃないんだけど。
ただ、この投資にリスクがあることを無視しちゃいけない。

ハルウララに武豊が乗ったレース。
あのレースって、弱すぎるハルウララだったからハルウララ無視で良かったものの、もうちょっと勝つ見込みがあったら、そのレースの馬券的醍醐味なんてほとんどないでしょう。
競馬は、馬券の価値がある程度正しく評価されてるから面白いと思う。
どっかの金持ちが趣味で運営してない限り、競馬ってのは馬券あってのもの。
根本から崩れてしまったら、道徳も信用も何もないよ。

俺の言うここでのリスクってのは「ハルウララから競馬に興味を持つようになった人間たちによって第二のハルウララを産みかねない」ということ。
彼らがハルウララ関連の動きを憎まなくてはハルウララは肯定されてしまうでしょう。
それが「公認のイカサマ」であって、イカサマは防がなくてはならないのですよ。

現在だけの事象を見るのはいいけれど、問題が現在だけで収まるものなのか果たして疑問。
ここでちょっとでも肯定し、そこからじわじわと許容されていき、気付いたときにはもう一般化していた、というのが怖い。
「浸透し圧倒する覇権的な力で、公共空間において認定される言説」が今のハルウララにありそうで。

まあ、こんなことは時代の流れによって崩れていいものなのかもしれない。
競馬の世界も社会契約論で説明できるのかもしれない。
競馬ファンが納得できればいいのかもしれない。

ただ、ハルウララに関わらず、ハイセイコーだってあの人気は異常だったのだ。
それを異常と思わなくなるのが非常に根本を揺るがしていて、これは単に保守的であるのだろうか。

少なくとも競馬ファンなら、ハルウララについて語らなくてはならないだろう。
何かがおかしいと思ったとき、それを見つめ直し考えることが重要なのであり、時代の空気だけに翻弄されるのは危うい。

投稿者 arikui : 2004年03月26日 14:41 | トラックバック

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