こういったことはよくあることで、最近気になることといえばファロンのことなんかがあった。(まだ疑惑のままのようだが)
さて、インチキは悪いし、インチキじゃなければ悪くない。
しかし真実は一つだ。
インチキじゃないことが真実か、といえば必ずしもそうではない。
自分の中では矛盾があって、真実ではない嘘が悪だということと、ばれない嘘は悪ではないということがあり、いつも都合のいい方で判断してしまうのだが、まあそれはいい。
いや、まてよ。
インチキがばれたときだけに責任を負えばいいのだろうか。
インチキをする行為そのものはすでに悪なのであろうか。
天安門事件のとき、また、今回のファロンのとき、問題としているのはそのマスコミのあり方だ。
誤った報道をしているのである。
もし、インチキがばれたときにだけ責任を負えばいいというのなら、誤報をしても誤報だとばれなければ別にいいということになる。
その誤報を中国やファロンが認めたのなら、マスコミは誤報とは伝えないだろうし、その裏に何らかの圧力があったかも考えないかもしれない。
やはりインチキはよくない。
マスコミはファロンの時のような明らかなインチキを追求せずに報道してしまってはよくない。
それによって与える影響を考えると、中国やファロンに貼られたレッテルを隅々まで訂正するのは難しいだろう。その後、誤報と認めたとしても。
やはり報道の在り方として、深く追求しなければ詳しいことも書いてはならない。
どこでインチキが生じているのかも分からない。
事実だけを伝えなければならない。
マスコミは真実でなければならない。
人々は報道の内容をしっかり理解しなければならない。
人に何かを伝えるとき、あまり適当なことは言えないな。
投稿者 arikui : 2004年03月15日 22:31 | トラックバック