2004年02月10日

レポート

俺の取ってる授業の最終課題のレポートは、今年は取り分けネットからのコピペが目立ったのだという。
その授業のレポートの文章はここの2/2にコピペしておいた。
俺もほとんどネットから情報を得たから、もしかしたらコピペかな、とか心配している。
まあ、結果は成績で出てくるだろう。
ちなみに、評価はレポートからだけなので、もしかしたら、、、ということもあるわけだ。しかも必修。(俺としては4回ぐらいしか出てないんで、逆に有難いかも)

ただ、コピペでマズイのは評価云々より、むしろ俺自身の個に関わることだと思う。

授業で学ぶ。
そこから知識を得る。
レポートの内容は「授業に関連した語句に関して説明せよ」みたいなものだった。
つまり、教わった知識をまた説明しろ、というのだ。
はっきり言って、課題を出した側としてはあまり意味の無いことだろう。
なぜなら、先にそれを教えており、つまりそれは説明しているということだ。
説明する、ということはそのことに関して知っているということだ。
逆に言えば、知っているから評価もできるといえる。
こちらに説明させるということは、知っているかどうかを問うものだ。

こういうことは無いだろうか。
友人と話していて、相手が「~って~なんだよ」と言った。
でも、実はその話の内容は昨日のテレビで言っていたことと全く同じことだったのだ。しかも、言葉もそっくりそのまま。
友人との会話では「そういえば、昨日のあの番組でそういってたよね。面白かった」と言う感じで済むのだが、インターネットの時代、特にニュースサイトと呼ばれるものでは、ニュース記事に自分のコメントを一言つけることが多い。
そのコメントがひどいものが多くなっているという。
つまり、言ってみれば知ったかぶりで付け焼刃の知識でのコメントだ。
知ったかぶりだからテレビやどこかのサイトの説明とほぼ同じことを言う。
もっとひどいのは、ちゃんと知識をつけていないのにコメントをするから、どこかで間違い、全く的外れなコメントを付けてしまうことだ。
デマゴギーとも言えるし、その道に詳しい人にとって「いかにも知っている口調」は頭に来る。
嘘はいけない。この嘘はいい嘘ではない。
自分を偽って虚勢を張るのは全くもってよくない。
たとえ言っているその言葉が正しくても、自分を偽ることが悪であり恥なのだ。

馬鹿は自覚してこそ改善され、そしてそれは向上心からなるものだ。
嘘の知識で塗り固まった柔らかい鎧を身にまとっても、確かにそれは見栄えがするかもしれないが、流石に脆いのだ。
それでも我々は身にまとおうとする。
あらゆる攻撃の可能性を考えて、より強固なものとしたいのだろう。

俺としては、一部が強固であればいい。
攻撃は受けたくないので、あまり言及もしようとしない。
つまり、競馬に関しては多くを語るが、将棋や麻雀では結果の自慢ぐらいしかする気はない。
矢倉の定石だって分からない。
それが俺ってもんだ。

投稿者 arikui : 2004年02月10日 12:47 | トラックバック

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