2005年04月15日

競馬との衝突

大阪大学競馬推進委員会:文化って何だ。

 とても面白い内容だと思う。特にいえることなどないが、色んなことをつらつらと考えたくなったのである。以下、実の無い話がだらっと続くかもしれない。読む前にそれを注意しておこうと思う。

近代競馬の祖と言われる英国の場合、競馬の始まりというのは貴族同士の暇潰しという側面が大きかったことは間違いないのでしょう。どちらがより強い(速い)競走馬を所有しているのか、そして、その素晴らしい競走馬を武器として、時の権力者(例外無く競馬好き)からの庇護を受けるといった狙いもあったのでしょうが、とにかく競馬のはじまりは「個人の楽しみ」だったわけです。その名残として、英国の競馬場は観客に大変優しくない造りをしています。この点からも、競馬は基本的に「オーナーが見せる」ものではなく「観客が勝手に観に行く」ものである、つまり、成り立ち自体が大衆娯楽とは程遠い存在であるということが明らかであります。そして「極一部の限られた人達によるサークル」が「ジョッキークラブ」であったように、極々限られたメンバー(すなわち上流階級) のアイデンティティーだったこともまた明らかでありますし、現在に至ってもなお「オーナー個人の楽しみ」としての競馬が旧態依然として行われていることは明白でしょう。

対照的に、日本における競馬とは「馬匹改良」というのが大義名分だったとはいえ「大衆娯楽」という面が強かったのではないかと考えられます。誰か一人の人間が先導していたわけでもなく、大衆の大衆による文化としての発展こそが、日本競馬の成り立ちでもあり、それこそが今日の競馬産業の隆盛を説明するのに最も適当なのではないかと考えます。「日本ではオーナーの目立てる場所が少ない」といったぼやきを何かで読んだ気がするのですが、それは日本特有のものであるというよりも、日本の競馬がそういった成り立ちであるがゆえに、いつまでも解消されない気さえします。これこそ日本のお家芸である「没個性(オーナーのね)」であると言うべきなのかもしれません。しかし、この徹底した「競馬の大衆化」や「感情の共有」こそが、停滞する欧州の競馬産業(主にここでは馬券売り上げ)とは違い、世界に類を見ない程の興行収入を得ている要因であるとも言えましょう。

 激しく引用してしまったが、素晴らしい内容なんで。

しかし、この徹底した「競馬の大衆化」や「感情の共有」こそが、停滞する欧州の競馬産業(主にここでは馬券売り上げ)とは違い、世界に類を見ない程の興行収入を得ている要因であるとも言えましょう。

 なんて、競馬だけでなく、日本のスポーツ界ってだいたいそうなんじゃないか。

 考えてみれば、こういった「大衆化」というものはここ数十年のことだし、現在と戦前とは競馬観に明らかな断絶がある。安田伊左衛門などが礎を築いたとはいえ、それ以上に日本の歩んできた時代に大きく影響を受けているのが現在の日本競馬だろう。

日本では「個人の楽しみ」に属するものが「文化」として認められるものであり、逆に「大衆への普遍的な楽しみの提供」という位置にある「競馬」は、いつまで経っても「文化」としての社会的認識を得られないのではないか、ということです。

 難しい。が、文化と認められた時代はあった、と思う。例えば、ハイセイコーだとか、オグリキャップ。この馬たちに熱狂した世代は、きっとある面では文化的に捉えていると思う。私はオグリと同級生という、つまり若輩者であるから、感覚的にはその時代のことが分からない。が、競馬をほぼ知らない親父なんかに話を聞くとハイセイコーという名前は一応知っている。一方で、同世代の奴と競馬で話そうとすると、馬より先に「儲かりまっか?」となる。やはりこの差は時代によって異なるだろう。現代の若者の多くは、感覚的に競馬という文化を知らない。

 まず、文化とは破壊的なものである。我々の心を揺さぶる何かが文化となりえる。つまり、継続して破壊的なもの、それが極めて文化的なのではないだろうか。絵画などの芸術表現を歴史的に見れば、やはりその通りだ。

 我々は、それがある種の古典であれ、それによって破壊的衝撃を受けることが多々ある。私という新しい存在が、100年前に描かれたゴッホを見て感動する。文化とは、破壊そのものというよりは、出会いであり衝突であるのだ。そして、私が競馬という文化に出会ったとき、私の中でそれまでの競馬という価値観は、確かに破壊されていたのである。

 正直言って、私にこの話の先は全く見えない。調べも何も無く、感覚的な話しかできないからだ。そういった前提で話を進めさせてもらうと、数十年前に起こったいくつかの「競馬ブーム」とは、「出会い」の機会の可能性が高まったということで、それが既に文化的であったと思う。「文化であった」とは私からは答えづらい。時代を知るものが、「私はオグリキャップからのファンだ」というのであればそう言えるのかもしれない。ただ、「多くの人間に文化的機会を与えた」ということは確かであるし、その可能性を競馬は持っていたということで「文化」だといえるだろう。私が言いたいのはつまり、時代によってそれが「文化」と捉えられるかどうかが大きく変わってくるということだ。そして、現在こういった話題で盛り上がるのなら、それは競馬との出会いの機会が社会から失われているということなのだろう。

 と長々と書いてみると、昨年の今頃、似たような話が出ていたのを思い出す。競馬がイマイチ盛り上がらず、それは競馬のせいなのか、といった話である。比較的若い世代が競馬のせいにしていたようで、一方で昔からの競馬を知っている世代は、そういうわけでもない、と切り返していた(らしかった)。そのときのエントリで、最も客観的かつ的確に書かれているのが殿下の文章ではないかと思う。

 個人的には、やはりこういった新旧ファンのすれ違いというものは時代的背景が大きいのではないかと思っている。そして、そのすれ違いの大きな要因とはバブルの崩壊ではないか。高度経済成長からバブルまでというのは、祭という幻想の中で何が楽しいのか分からないが一緒に盛り上がってみる、というのが比較的可能だった。が、それもバブルと同時に崩壊し、人々はもっと現実的になった。21世紀になり、その名残も一切消えてしまった中、生き残ったのは、古くからの幻想にすがり付くものと、ギャンブルという現実で生き残れるもの、そしてそのギャンブルで生き残れると思っている馬鹿だけだった。旧ファンは、そういった現実を受け止めながらもマンネリ化した幻想を許容している面がある。しかし、新たに競馬を知ってしまったファンは、そのマンネリに反感を覚える一方、その上手い解決策を見出せないという閉塞感に陥っているのである。現状で言えば、多くの新世代は、殿下の言う「進歩史観」という幻想にすがらざるを得ないのかもしれない。

 そんななかでハルウララの登場は象徴的であった。本来のルールを無視したヒロイン。競馬そのものをぶち壊しかねないその波及は、競馬という文化にとっては希望であったとともに、危機でもあった。が、結局内輪の問題で彼女が何かを変えるということは無かった。(ちなみにそれらの問題については私も以前書いているし、ガトー氏のblogに詳しい)

 考えてみれば、これらの状況は野球界のものと似ている点も数多い。昨年は日本野球の危機の年だった。そんな中でLD堀江が有名になった。大きく違うのはルールぐらいで、スポーツというものが危機に陥っていることに変わりは無い。その不安から抜け出せない閉塞感は現在も続いている状態なのである。

 さて、次の日曜には皐月賞が行われる。私は、これに現状を打破する可能性が秘められていると思っている。ディープインパクトである。ダサい名前の割に話題性がある。その一方、「競馬ブーム」を知らない世代としては、懐疑的にならざるを得ないとともに、万が一またブームが巻き起こるとしたら、それはそれで不幸である。あの名前が広まると考えると、残念でならない。

投稿者 arikui : 2005年04月15日 19:48 | トラックバック

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