2004年11月02日

馴れ合いキモイ

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 さっきblogの一部を見てきた。なんか、マジで気持ち悪くなった。馴れ合いキモイ、とかいうのも理解した。吐き気がする。中学とか高校とか、同じクラスの中でグループ作って、他のグループには分からないように陰でコソコソ何か言ってるような感じ。ホント気持ちが悪い。

 こういうのは気持ちが悪いと思うが、そうやってる彼らも何か気持ちが悪いのだろう。ただ、俺とはタイプが違って、そういうやつらで仲間を形成していく。そして、その中で同じ感覚を共有しているんだろう。彼らは互いにシンパとして支えあっているのかもしれない。

 いや、これもちょっと違うかもしれない。雰囲気はそういう感じがするが、実際俺と大して変わらんだろう。(まあ、そういうのもあるかもしれないが) なんか大袈裟な気がして、、、ってやつ。あるきっかけでそれが「馴れ合い」になってしまうのだろう。基本的にネットみたいな相手が見えないところでは、主張をしたときに何かしらの不安を覚えるのは当然。だから、その意識が逆に共感しやすいかもしれない。

 つーか、ネットやってても、疑心暗鬼みたいなのってあまりないんだけどさ。大したこと書いてないし、書けないし。こういう心に残ったことを他人のコンピュータに記憶させて、後で見てニタニタしてるだけ。

 そう考えるとホントおかしいよな。公開してるからには絶対に他人の目を気にして書いてるはずなのに、都合がいいときだけ、「いやー、自分のためにやってるからー」なんてさ。全然理由になってない。少なくとも、「自分には他人が読めるぐらいの文章力がある」と思って書いているに違いないんだから。そして、「読んでくれた人にとって何か為になってくれれば」と思っているはずなんだから。まあ、思い上がりもいいところだ。(きっとこれも多くの人が思ってる)

 主張があれば共感もあるし、反感もある。大体の人はそうと分かってるはずだろうけど、何故か共感ばかりで固めたり、反感があれば「釣れた」とか言ったり。これってどっちも変だと思う。前者であれば、そこにいる人間以外から見たときスゲーおかしいし、後者だって、そもそも反感が来ることなんて予期できるわけだから「釣れた」ってのはおかしい。むしろ、自分の文章でもうちょっと勝負しろよ、って思う。なんというか、自分の意見を正当化するのに逃げていると思う。「釣れた」という一言だけで含みを持たせていると勘違いしていると思う。(この「釣れた」ってのは「騙した」って意味のものじゃなくて)

 話にならないのは、空想で敵を作ってしまう人か。反論ばかりされると敵だと思うのか。そもそも文章が嫌いじゃないからそれに突っ込むんであって、っていうことが分からない。そんなこと言わないから当たり前かもしれないけど、考えようともしないあたりなんというか想像力に欠如してるかもしれない。もしくは、敵としたほうが自分としても態度が取りやすいのだろう。俺ってかなりイチャモンつける方だから、俺にイチャモンつけられたら残念ながら好かれてると思った方がいい。これは本当に可哀想だ。

 やはり、自分の発言に責任が持てない人ってのはネットで文章を公開すべきじゃない。少なくとも、厨だとか、馬鹿だとか、うんことか、よく考えもせずに決め付けんのは逆に香ばしくなってくるんだよ、と。こういう人は相手の意を汲み取ろうとする気は毛頭無い。まあ、何言っても通じない、というときもあるけどね。


 こういうのの渦中にいたことは無いんだけど、なんか相手を出し抜くことばかり言ってる人ってのはいるんだよね。ネットでよく見かけるのは「釣れた」なんだけど、俺が高校のときは「あえて」って言うときが多かった。俺も含めて。「あえて」って、全然考えてねえだろって。みんな、安易に「あえて」なんていうのはやめよう。「確信犯」とかも控えよう。

投稿者 arikui : 2004年11月02日 00:01 | トラックバック

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